つぶやきしぶちん
2007年!
2007年01月01日 | つぶやきしぶちん
謹賀新年
日頃の御厚情に感謝し、本年が良き年でありますように。
2007年、1発目は「転校生」の続きです。記憶が曖昧なところがありますが・・
思い出しながら書きました。
宜しければどーぞ^^
「東京」
小樽の田舎から世田谷区に引っ越した。
何もかもが新鮮だった。
新学期の朝礼に私以外に1人か2人転校生がいたかな。
緊張したのを覚えている。
先生が新しいクラスメイトだと私を皆に紹介した。
女の子はませていた。身体が大きく胸の膨らみが気になったw
皆、洋服が綺麗だ。男の子は半ズボンに白いハイソックスを穿いていた。
白い靴下なんて持っていなかったと思う。
私は、丈の短いヒザアテの付いた長ズボン。洋服は兄のお下がりの
オンパレードだった。
田舎物の私は彼らがお洒落で眩しく見えた。
サザエさんの舞台になっている地域。
今思えば裕福な家庭の子供達が多かったような気がする。
芸能人の家も近くにあった。
いろいろなカルチャーショック。
子供達が自転車に乗っている!
小樽は坂の町。冬は雪に埋もれるせいもあるが
自転車に乗る習慣は当時なかった。
もちろん高価ということもあっただろう。
学校にプールがある!!
小樽の学校にははもちろん無かった。
1年に1度、海に遊びに行ければいい方だ。
なのでもちろん泳げない^^;
自転車に乗ること、泳ぐことは小学校3年生にとっては結構厳しい
ハンデでした。運動神経が良かったので、プライドが傷ついたw
兄と一緒に父親の大きい自転車で練習した。足も着かない大きな
自転車。もちろん補助輪など付いていない。何度も何度も転んだっけ。
自分専用の自転車を買ってもらった時は本当に嬉しかった。
クリスマスだったか、誕生日だったかな。あ、お小遣い貯めて買ったの
だったか。。だんだん記憶は薄れていきますなぁ(笑)
外人がいる!
小樽で外人なんて時代もそうだったろうがあまり見たことが
なかった。
深沢の自宅近所に、外人家族が住んでいて時々、同じ歳くらい
の子供を見かけた。金髪の青い目の少女が人形のように見えた。
環境も気候も人間も生活も遊びも
全て小樽とは違っていた。
近くに中町という所がありに電電公社の大きな社宅群があった。
大きな敷地に何棟も並んでいた。
グランドや砂場があり、子供達の恰好の遊び場だった。
ここに住む友達も多かった。
遊びのメインは野球だった。全員巨人ファンだw
「巨人・大鵬・卵焼き」とまさに言われていた時代です。
巨人全盛時代。私は足の速い「柴田」が好きだった。
父親は猛烈な巨人ファンで試合が負けると機嫌が悪くなった。
「ヤクルトなんか飲むな!」と(笑)
小樽時代は野球で遊ぶ事があまり無かったように記憶する。
やはり、水泳、自転車同様、上手くなるまで時間がかった。
缶ケリもここで良くやった。
鬼になると辛かった^^;
ローラースケートがブームになった。ローラーゲーム!当時人気
ありましたねw
ここの公園の一角にコンクリートの広場がありガラガラと金属のタイヤ
を鳴らしながらローラースケートしたなぁ。
クルクル回るのを練習したりローラーゲームの真似事したり。
後に結婚し住んでいたマンションの隣の方が元東京ボンバーズに所属し
ていたと聞いた時は驚いた(笑)
夏の思い出は虫だ。
今はもう無いだろうが、その電電公社の敷地には沢山の大きな
クヌギの木があって、都会にしては自然が残っておりカナブンや
クワガタを採って遊んだ。
昆虫好きな私は、本当に嬉しかった。大きなカマキリも新鮮だったなぁ。
ヒキガエルも初めて見た。道を普通に歩いていて時々車に轢かれた
カエルも見かけた。
まさに「ヒキガエル」w
深沢の社宅から道路を挟んで少し行くと、日体大があった。
そこもよく忍び込んで遊んだなぁ。
汗臭い部室。飛び込み用の深いプールが怖かったのを覚えている。
日焼けした大学生が大きく見えた。
後は、駒沢公園。
テレビの番組でよく使われていた場所だ。
アベックのいちゃつくところを茂みから盗み見て「バカー!」とか
言って、チャリで逃げたり(笑
地味なところでは「切手」だろうか。切手収集がメチャ流行った。
ピンセットを使い、指紋を付けないように(今まで散々ベタベタもっていたのにw)
挟み、切手本?に入れる。友達同士で交換したり、眺めて楽しんだ。
(今もその頃集めた切手もってるなぁ^^)
おーそうだボーリングも流行った。爽やかリツコさんだ。
246沿いにボーリング場があり、親に良く連れて行ってもらった。
偶然だが、Mメカの奥様が私と同じこの「桜新町小学校」に
通っていたと聞いた。私の後輩である(笑)
しばらくすると私はクラスに馴染み、自分のポジションを得ていた。
明るく、面白いタイプだったのでいつの間にか大きな顔をして
いたのを覚えている。5年生になっていた。
クラスに地域に文化にようやく追いつた頃。
また父の転勤が決まった。
我々兄弟は結構堪えた。たった2年間である。
これで3度目の転校だ。「何故?どうして?」
何も判らないが、ついていくしかないのである。
今、思うとこの東京の2年間は時代の勢いもあり楽しい時期
だったように思う。
日本も豊かになってきた頃である。
今度は関西。
兵庫県西宮市。
関西のイメージなんて何もなかった。
転向してすぐの話だ。
悪そうな連中に呼び出された。東京にはいなかったタイプ。
そこで私はこんな言葉を彼等に浴びせられる。
「なに、のぼっとんねん!」
「しばいたろか!」
何を言われているか本当に判らなかった。
しかしどう考えても好意的ではない(笑)
どうやらヤバソウだ。。。
~関西編はまたの機会に^^
☆画像は私が以前所有していたサンク。
外観はアルピーヌ仕様になっていた。この色が一番いいなぁ~^^
小さい頃の長男ですが、丁度、私が彼の背格好の頃の話です。